宮和田の渡し場と文巻橋
宮和田の渡し場
江戸時代においては、政治的な理由、技術的な理由から大きな川には橋が架かっていないのが普通であった。この小貝川を渡る場合も然り。
当時は下総と常陸の国境になっていて、対岸の藤代宿方面から常陸国に入るためには宮和田の渡し場で舟に乗り、こちらの小通幸谷村で降りるほかなかった。ちなみに正徳5年(1715)に記された書によると、渡し賃は二文掛かったという。 池波正太郎の小説「鬼平犯科帖・雲竜剣」に、この渡し場のことが書かれている。テレビドラマになりDVD化されているので、この作品を通して、当時の宮和田の渡し場を顧みることが出来る。
文巻橋
龍ケ崎市と取手市の境界線に架かっている橋。明治14年(1881)測量の国土院地図によると、橋は今よりも南側、ちょうど宮和田の渡し付近に粗末な橋が架けられていて、渡し舟と併用されていたことが確認出来る。
その後、明治天皇牛久行幸に伴う大々的な陸前浜街道改修工事により現在の場所に新たな橋が架けられた。 現在の橋は昭和6年に完成し、国道6号線の橋としては最も古いものと言われていたが、バイパスが国道6号線の本道となり、現在は県道208号線に架かる橋となった。
橋の名前は、かつて地元(小貝川下流)の人々が小貝川を文巻川と呼んでいたことに由来する。
なお、この橋は住井すゑ著書「向い風」のラストーシーンの舞台となっていて、橋上での別れを物悲しく演出している。原文通り紹介する。
ゆみは文巻橋の袂で立ち止まった。それは何よりも明瞭な別れの合図だった。
健一「ゆみ」
ゆみ「さようなら」
健一「ゆみ」
ゆみは黙って橋を渡りはじめた。
橋上は一入風が強かった。しかも向い風だった。ゆみはその風に突っ込むように、一直線に進んで行く・・・・。
上流は雪解であろうか、小貝川は水豊かに、淙々として薄暮の中を流れていた。