清水山慈眼院
寺院の名称は『清水山慈眼院』。寺宝である仏像彫刻は『小通観世音』あるいは『十一面観音』といわれ、龍ケ崎市指定文化財である。寺院は天慶年間(938~947)平貞盛が将門に討たれた父国香の霊を弔うため建立したのが始まりとされる。
さらに天正年間(1573-1592)には牛久城主由良国繁が先代の岡見家の戦没した武士の霊を弔って七観音、薬師堂を建立。 寺伝によると、当時は境内も広く寺領も一町歩あり、また当地の十一面観音が眼病に霊験があると信じられ、遠近の参詣者が多かった。しかし、明治初年の神仏分離令に際し、無檀無禄寺院として廃寺となったが、七観音八薬師の由緒をもって若柴金龍寺の末寺として再興されたと記録されている