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  • 安楽寺

    山号・院号は恵宝山蓮華院(えうんざんれんげいん)といい、天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来である。小野(稲敷市小野)逢善寺の末寺。

    寺伝によると、大同2年(807)の創建とも、天慶年間(938-47)平貞盛の建立ともいわれ、はっきりしていない。戦国時代、この付近で多賀谷氏と岡見との合戦があり、その時の戦火で多くの堂宇や寺宝、記録が焼失したという。

    安楽寺の鰐口(県指定文化財)鰐口は、寺社の堂前につるし、参拝者が引綱を振り打ち鳴らし祈念する金鼓である。 日本独特の青銅及び製で出来ていて、名前の由来は古くは金鼓・金口などと書いて「ごんく」と訓でいたが、その姿により室町時代から鰐口とよぶようになった。
     当寺社の鰐口は、鼓面は柔らかに盛り上がり、力量感にあふれている。 鐘座は中央に蓮華紋を鋳出し、表裏とも各3本の覆輪付で、銅紐つり手が2ケ所付いており、表面の外輪にそって、右側に「総州相馬郡河原代安楽寺鰐口也・天台堅者賢海法印住之砌」、左側に「文和二年癸己六月十九日大勧進沙門榮金」と刻まれてある。
     彫銘にある文和2年(1353)は南北朝時代にあたり、世情不安定な頃で、天台宗の高僧賢海法印が安楽寺に来住されたのを記念して、大勧進沙門(寺院健立を司どる僧職)榮金がおさめたものである。この事は文和2年にはこの寺院が天台宗であったことの明確な証であり、逢善寺の天台宗学問所の開設(正徳3年-1713)以前に既に天台宗寺院であった。この地域の多くの天台宗寺院は逢善寺の学問所で学んだ僧侶によって開山されているので、安楽寺はそういった天台宗寺院とは一線を画している。