うなぎ街道
牛久沼東浜(牛久沼に面した国道6号線)
牛久沼に面した国道6号線沿いに、かつては10店舗以上のうなぎ料理店が軒を並べていました。
平成9年の時点では8店舗うなぎ料理があり、龍ヶ崎市観光物産課は12月から定期的に店主を集めて「うなぎ街道」命名とそれに伴う宣伝活動についての協議を行い、8店舗総てが紹介されたパンフレット2万部と街道沿いに80本ののぼりを設置することに決めました。
平成10年、龍ヶ崎市観光物産課では、うな丼発祥の地としての牛久沼とともに、国道6号線沿いにある鰻料理店を宣伝しようと、この通りを「うなぎ街道」と命名し、また市内を始め夏には東京新宿で龍ケ崎の代表的なお祭り「撞舞」とともに「うなぎ街道」の宣伝活動を行いました。
しかし、龍ケ崎市商工会によるコロッケによる町おこしがスタートし、うなぎ街道は忘れられた存在となりました。
平成23年(2011)の東日本大震災では、地盤の悪い牛久沼沿いのうなぎ料理店は大きな打撃を受け、何店舗かは閉店に追い込まれました。現在も営業を続けているお店は次の4店舗と激減しました。
うなぎ料理店
- 伊勢屋 住所 茨城県龍ケ崎市稗柄町125
- 桑名屋 住所 茨城県龍ケ崎市佐貫町3669
- 鶴舞家 住所 茨城県龍ケ崎市庄兵衛新田町282−12
- 山水閣 茨城県龍ケ崎市庄兵衛新田町282−40
その他の飲食店
- 牛久沼夕陽食堂 樂 住所 茨城県龍ケ崎市庄兵衛新田町282−156
その他の施設・店舗
- サウンドボウル(ボウリング場) 住所 茨城県龍ケ崎市庄兵衛新田町282
- ピンポンパン龍ヶ崎店(カラオケ) 住所 茨城県龍ケ崎市庄兵衛新田町282−40
- ROOM龍ヶ崎(ラブホテル)住所 茨城県龍ケ崎市庄兵衛新田町282-53
- 茨城いすゞ自動車(自動車ディーラー)住所 茨城県龍ケ崎市庄兵衛新田町282
うな丼伝説
むかし、江戸は日本橋の芝居の金方大久保今助さんが、生まれ故郷水戸の近在にある常陸太田へ向かった。
水戸街道を目的地へ向かう途中、牛久沼の渡し場にある掛茶屋で好物のうなぎの蒲焼とどんぶり飯を頼んだ。さっそく食べようとしたところ、「舟が出るよ~!」と声がかかったので食べる暇がなくなってしまい、慌ててどんぶり飯の上に蒲焼の皿をかぶせて舟に持ちこんだ。
向岸に着いた今助さんは、土手に腰をを下ろして食べることにしました。
するとどうでしょう!鰻の蒲焼は熱い飯に蒸されて柔らかくなり、タレが飯にほどよく染み込んでいて、これまでに味わったことのないおいしさでした。
数日後、今助さんは江戸へ帰る際に再び茶屋に寄り、そのときの話をしてうなぎ丼を作ってもらいました。その後、茶屋でうなぎ丼を売り出したところ、大当たりとなり牛久沼の名物になりました。
これが”うな丼”の始まりです。
一方、江戸での今助さんは牛久沼でのうな丼の味が忘れられず、芝居見物につきものの重詰の代わりに、熱いご飯のうえにうなぎの蒲焼をのせた重箱を取り寄せ、舌鼓をうっていました。これが”うな重”の始まりで、世に広まっていきました。・・・・・・・
鰻料理店牛久亭パンフレットより
うな丼、町おこし旗揚げ