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  • 藤代宿

    藤代宿の概要

    水戸街道の取手に次ぐ7番目の宿駅。実際には、藤代宿と隣接する宮和田宿の二つの宿駅で、一つの宿駅の機能を分担していた。現在はちょうど両宿の間にJR藤代駅があり街道は駅前を鋭角にカーブしていて、北に500m程のところに藤代宿があり、東に600m程のところに宮和田宿があった。一般にはこの両方の宿場を合わせて藤代宿と呼んでいた。宿場の規模は、石高1803石で、の規模の宿駅で公用の人馬として通常人馬25人、25匹を常備していた。助郷村は天保11年(1840)の記録では村数29か村、石高19000余。加助郷村は明和元年(1764)の記録で33か村、石高12965となっているが、時代によっては食い違いがあるので参考程度に考えて欲しい。これらを2宿がどのように分担し運営していたのか分からないし、なぜ、本陣や問屋場が両宿に置いてあり、交互にその任に当たっていたか分からない。とにかく謎の多い宿場町である。

    宮和田宿

    越すに越される小貝川。当時の小貝川は下総国と常陸国の国境で、その国境越えのための宮和田の渡し場がこの宿場にあった。大雨が降ると宿場全体がぬかるみ、川は氾濫し、多くの旅人はこの宿に足止めをくらったことであろう。いつ出るか分からない渡し舟を旅籠の一室でじっと待ちわびる旅人の姿が浮かんでくる。

    小貝川は、昔から氾濫の絶え間ない川で、今日においてはしっかりとした堤防が築かれ氾濫することはあまり考えられないが、昔は想像を絶するほど氾濫が多かった。そんな事もあって、小貝川には橋が架けられなかったのかもしれない。宮和田宿に関する文献は皆無に等しいが、正徳五年(1715)の書物『駅路鞭影記』によると、小貝川の渡し賃は二文で、宿場にはうどん、そば切を売る店があったと書かれている。宮和田宿の本陣、問屋場がどこにあったか、見当もつかないが、舟待ちの旅人で賑わっていたはずである。

    小貝川、宮和田の渡し付近

    遠方に見える橋は文巻橋で、この川を渡ると常陸国である。

    宮和田宿

    直進すると、道が細くなり、その先は土手で、かつて宮和田の渡し場があったところである。

    左に曲がると国道六号線文巻橋へ出る。

    藤代宿

    街道筋は相馬神社のところで直角に曲がっている。その角に坂本呉服店が昔ながらの屋敷を構えて商いをしている。宿場の名残を感じるのはこの場所だけであろう。本陣は近年まで、その雄姿を誇っていたが、昭和30年の町村合併時に町役場建設のため建て壊された。屋敷は木造萱葺屋根で質素であったが唐破風造りの玄関は本陣の風格を備えたりっぱなものであったと記録されている。現在は近代的な藤代中央公民館に変わっている。時の流れとはいえ、こういう建物が行政の力で解体されるとは、とても残念である。往年の本陣は、広大な敷地を誇っていたようであるが、たびたびの小貝川の改修工事で、大きく敷地を削られたと言う。その本陣は、代々飯田三左衛門の子孫が管理していた。

     藤代宿は、本陣のほか、脇本陣、問屋場、旅籠、湯屋、商家が建ち並び、結構賑わっていた。その場所は現在も藤代町の中心部にあり、JR藤代駅から続く街並みは新旧の商店が混在している。

    藤代宿、坂本呉服店前

    生前の住井すゑさんのお気に入りのお店で、彼女が若い頃は牛久から約8kmの道のりを歩いて通ったという。

    本陣跡、現在は藤代中央公民館

    すぐ裏は小貝川の土手になっている。

    取手から藤代までの街道

    江戸時代初期の水戸街道は、我孫子から利根川に沿って布川、須藤堀、そして若柴宿に至る迂回路だった。ところが伊那忠治による治水の進展により、取手・藤代間の湿地帯が次第に水田化し、貞亨年間(1681~1688)にかけてここに新たに道が設けられた。このことにより、藤代は水戸街道の宿駅としての機能を持つようになったのだが、しかし、取手宿~藤代宿間の街道はとにかく悪路であった。地盤が悪いため、ちょっとした大雨でも路は泥濘、とても歩けた状態ではなかった。そのために本道のほかに下記の通り三通りの廻り道を必要とした。本道り取手宿→長兵衛新田→吉田村→小泉村→酒詰村→米田村→谷中村→藤代宿(現在陸前浜街道と呼ばれている道)中通り取手宿→井野村→酒詰村→谷中村→藤代宿 (現在のJR常磐線に沿っている。)水戸往還椚木廻り道取手宿→l桑原村→毛有村→椚木村→藤代宿 (中通りより500m程北側、国道6号線にやや近い)大廻り道取手宿→寺田村→和田村→小貝川堤防沿→藤代宿(岡堰の方まで迂回し、小貝川に沿った道)