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丹波

芋銭の旅の中でも、特にお気に入りはまず丹波(特に兵庫県市島町)であろう。それは高浜虚子の門人であり気心の知れた西山泊雲がいたからである。

大正7年10月に初めて丹波を訪れ、西山家に一週間滞在した時、芋銭はすっかり丹波が気に入り、以後幾度も丹波を訪れる。やがて芋銭と泊雲は無二の親友となる。そして芋銭の三男と泊雲の娘を、泊雲の長男に芋銭の二女をそれぞれ結婚させ、小川家と西山家は親戚関係になったのである。

口すすぐ石もありけり水の秋

この句は、芋銭が泊雲方に逗留していた時詠んだ句で、酒造を営んでいた西山家の中庭の一角に泉が沸いていて、逗留中は毎日この泉で顔を洗い歯を磨いて、東に向かって拝んでいたという。

西山家は銘酒「小鼓」を醸造する蔵元で、聞くところによると、室内には芋銭の他に正岡子規や、高村光太郎などの著名人の書や絵、屏風絵などが所狭しと並んでいて、まるで私設美術館のようだったという。西山酒造前には、芋銭が詠った次の歌碑が建っている。

新しき酒かもせりと丹波路や竹田の里に竹たてし家

西山酒造の中庭

西山酒造玄関

丹波にたびたび赴いたもう一つの理由は、石象寺(同じく市島町)のたたずまいであった。芋銭はそのたたずまいが大変気に入り、長期逗留を決め込み、庫裏の二階を間借りして画室とした。

石像寺には「霧海の庭」があり高浜虚子とともに芋銭の句が建っている。

鷹鳴て蘭若の秋の晴に坐す

石像寺・霧海の庭

石像寺に逗留中描いた作品、「丹陰霧海」(大正13年院展出展)は石像寺の「霧海の庭」にある巨岩から眼下を見下ろした情景を描いたもので、山に囲まれた丹波の嶺々は霧に覆われる事が多かったのだろう。

石像寺では、芋銭が滞在した部屋を当時のそのまま残しているという。

芋銭が逗留した部屋から望む景色