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銚子

五十六歳(大正13年)になった芋銭は、この年から晩年まで、たびたびあるいは長期に渡り、銚子海鹿島の「潮光庵」で過ごした。

「潮光庵」は芋銭を敬愛する篠目八郎兵衛(茨城県石岡在住)が芋銭のために逗留を勧めた別荘で、松林の中の八畳、六畳、台所という小さな家である。芋銭は、ここで一人静かに創作活動を続けた。

潮光庵
潮光庵の一室

その近くには尾崎行雄の「思学庵」があり、松林の道を抜けると見晴らしの良い丘がある。その丘を「海鳥秋来の丘」といい、実に文学的な表現のニックネームが付けられている。芋銭の句は、その「海鳥秋来の丘」から見下ろす海岸の、ひときわ大きな岩石で出来ていて、次のように刻まれている。

大海を 飛びいづる如と 初日の出

芋銭の句碑

この句は、現在の天皇陛下がお生まれになった時、その喜びを詠んだものと言われている。銚子は江戸時代より、墨客・歌人・俳人らの来訪が多く、江戸文化の影響を強く受けていた。そのため、いろいろな文学碑が残っている。芋銭の句碑以外にも、松尾芭蕉句碑 古帳庵句碑 国木田独歩詩碑 竹久夢二詩碑 尾崎咢堂(行雄)歌碑 尾張穂草歌碑 佐藤春夫詩碑 高浜虚子句碑 源俊頼歌碑などが建っている。これらの多くは「海鳥秋来の丘」から近い海岸線にたっている。太平洋が180度広がる大パノラマは、画作に於いても文学活動に於いても、大きな作用を及ぼしているのであろうか。

小川芋銭ゆかりの地としての銚子には、「大内かっぱハウス」という美術館がある。これは元銚子市長の大内恭平さんが、全国から集めた河童アイテムを集めたもので、4千点以上のコレクションが展示公開されている。その中に芋銭が描いた「渇波と狢藻」が展示されている。河童を渇波と表現したところが芋銭らしくて面白い。