画集・作品

龍もかっぱも自然の不思議さのシンボルなんですよ。地球は水があるからすべてのものが生きている。芋銭先生は天地自然の不思議さ、水の不思議さを、かっぱにそして沼に描かれた地球の不思議さを芸術的に理解されたのでしょう。「一番程度の高いものは宇宙の法則だ。人間は宇宙の法則によって生かされている」という老子哲学が芋銭先生の絵に表現されています。(住井すゑ)
「小川芋銭ー聞き歩きい逸話集」より 

芋銭の絵は初期の挿絵時代を除くと中国南宋時代の絵の技法南画である。それも哲学に裏付けされた南画というもので、絵の中には芋銭のメッセージが隠されている。そのメッセージを推理するには、老荘思想を知る必要があるという。しかし、私たち凡人がそれを理解することは至難の業であろう。幸いにも、芋銭の隣人であった住井すゑのこの言葉が、難解な絵の見方の紐を解いてくれる。

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草汁漫画

明治41年6月に出版の小川芋銭最初の本。明治37年から明治40年までに新聞紙上で発表された挿絵を中心に編集されたもの。その内容が反響を呼び、「東京毎日新聞」「平民新聞」「国民新聞」や俳句誌「ホトトギス」にも芋銭の漫画や表紙画が掲載されるようになり、交友範囲が広がるきっかけになる。

明治百俳家短冊帖

大正元年~2年発刊 秋元梧楼が明治時代の俳人100人の俳句を選び、短冊に認めたものを集めたもの。『天地人の三分冊で構成   (入手不可)

三愚集

大正9年刊行。明治末から大正初期の作品集。 一茶の俳句を夏目漱石が書き小川芋銭が絵を描いたもの。これらの三人を称して三愚といい、滑稽、諷刺、慈愛を表している。 (復刻版有り)

芋銭子十種

大正12年刊行。同年、川端r龍子と一緒に展覧会を開き、その時出品した作品10点を纏めて画集にしたもの。関東大震災直前の作品集で、微密な筆法を用いた作品が多いのが特徴

芋銭子開七画冊

昭和3年発刊 明治44年~昭和3年までの作品を制作年の新しい方から順に収録したもの。第一の基本画集と言えるが、芋銭本人は不満足な画集であった。。モノクロ図版45点が収められている

芋銭子小品画冊

昭和9年発刊 一茶の句をたくさん用いた俳画集

芋銭子開八画冊

昭和12年に古希記念展覧会を開き、その時出品の作品を主に構成されていて、収められた作品は総て優れていて、芋銭芸術がここに極まっている。

河童百図

昭和13年俳画堂より発刊、芋銭最後の画集。河童の芋銭と言われた所以はこの画集にある。昭和53年に復刻版が綜合美術社から出版されている。

芋銭が描く河童は誰がみてもすぐに理解できるほど軽妙で風刺的で、こどもから老人にいたるまで愛好されている。しかし彼が描いた河童の絵は中国古代思想の老子や荘子の哲学が根底にあり、その作風は北斎漫画、浮世絵、さらに錦画、民俗資料、妖怪文献などの関わりを持っている。

河童百図その一、山水悠々河童を描くにあたって、芋銭の言葉河童の眼を描くのはむつかしい。支那の画人で有名な人も一番あとで描入れたと言ふ。河童の眼は、まぽろしを持って居ねばいけない。まぽろしとは河童のこころを出すのであって恰度霞の中にぴかりと光るやうな鋭さがなければいけない。このこころもちで描くとよい。最初薄墨で描いて、追々濃くしていく、そして終りに瞳を入れる。二三年前も私はこのことを※柳月君に教えたと思ふ。そして眼は大きくならぬ方がよい。

※俳句詩「ちまき」主宰者の川村柳月のこと

芋銭子遺作集

昭和14年、遺作展をを記念して出版。図版が立派で芋銭研究の基本画集として欠かせない。

芋銭子冊子

芋銭が亡くなってまもなく、兵庫県丹波、西山氏の芋銭コレクションによる芋銭展が京都市美術館で開催された。それを記念して出版。

小川芋銭

昭和63年日本経済新聞より出版

雲魚亭パンフレットで紹介の3枚の絵

小六月

昭和12年の作品。後方に描かれた水辺は牛久沼とも思えるが、芋銭は当時、北相馬郡文村横須賀に滞在したことを思うと、おそらく利根川であろう。と、い うことは、小六月に描かれた農村の風景は、文村周辺と考えられるが。
虚弱体質な芋銭にとって農作業のつらさを誰よりもよく理解していた。だからこそ、農民に限りない愛情を注いでいる。垣根越しに談笑する人々の姿、農作業を終えてほっとしているのだろう。話し声が聞こえてきそうだ。

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利根町「小川芋銭展」より

2002年に茨城県北相馬郡利根町で行われた小川芋銭展。下図はそのポスターと、弓削家に残る芋銭のが画いた下絵である。

「利根町で過ごした芋銭の日々を探る」と題して講演と小川芋銭の作品が多数展示された。

講演の内容は利根町にお住まいの弓削暢二さんによる「想い出の祖父芋銭」、県立歴史館学芸員の北畠健さんによる「芋銭の人と芸術」についてお話された。

弓削氏より講演会で
見せていただいた芋銭の下絵

利根町で行われた小川芋銭展のポスター

ポスターに描かれた左の河童の顔をクローズアップすると・・・(右の写真)

芋銭は、東洋的自由の象徴として河童を好んで画いた。ここで描かれた河童も然り。自由のびのびと遊んでいる。ところが、よく見ると、河童であるはずの顔の部分が、明らかに鮭なのである。何を意図しているのか分からないが、芋銭が文村に滞在した時代の利根川は、鮭がよく釣れたという。それも最上級の鮭が。芋銭の画の奥の深さ不思議さを示している一例である。