ゆかりの地top 丹 波 銚 子 文村横須賀 雲魚亭 河童の碑

ゆかりの地

芭蕉の旅心に憧れ方々を旅した芋銭。その生き方を決定づけたものは、こうとの結婚であった。妻こうは同じ村で農業を営む黒須巳之助の次女で健康的に優れ、強い意志を持った女性であった。芋銭は虚弱体質が故に嫌で嫌でどうしょうもなかった農業。その農業を妻に背負わせ、自らは家業を危惧することなく創作活動に没頭することが出来るようになった。そのような夫の自由奔放な生き方に不平不満を何一つ言わなかった妻であった。

芋銭が描こうとしたもの、それは旅の中から見つけた自然や、人とのふれあい、歓喜であり、旅なしでは到底見いだせないものであった。まさに「仙境の画人」と言われている謂われであろう。帰らぬ夫を待ち続けた妻こうの心境は、さぞ辛かったであろう。

各地を旅した芋銭。その中でも滞在が一週間から一年に及んだ丹波と、夏の間避暑を兼ねて滞在した銚子は、芋銭にとって、単なる旅ではなく、創作活動の拠点とも言える土地であった。

また、晩年の芋銭がたびたび訪れた娘の嫁ぎ先、文村先須賀川(現茨城県利根町)。ここは牛久から距離が短く、旅という言葉が相応しくないかもしれないが、晩年の芋銭の作品を語る上で欠かせない創作活動の場であったので特筆する。