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旧岡田小学校女化分校

住所 茨城県牛久市女化町391−1

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旧岡田小学校女化分校校舎
(現女化青年研修所)

女化開拓100年の歴史を見守った分教場。2018年5月、国登録有形文化財に登録されました。

建物の構造は、木造平屋建て、外壁下見板張で、東寄りに切妻屋根の玄関を構えています。片廊下式平面で北側を廊下とし、南側を大教室や中教室に仕切っています。大教室は内部を二分でき、授業形態や多目的利用に対応します。牛久市内で現存する唯一の戦前の木造校舎です。

明治31年(1898)徳島県から移住した杉本民蔵等によって創立の私立女化尋常小学校が前身になります。

女化移住者の子が学校へ行くためには1里以上もある隣村の小学校へ通わなければなりませんでした。そうした状況の中、杉本民蔵はクリスチャンで、村づくりの柱として教育、宗教の重要性を強調し、明治24年(1891)に教会を兼ねた私立小学校化成学館を創立します。しかし宗教色が強く、開拓者仲間からの反発があり2年で廃校となりました。民蔵はそうしたことにも負けず、協力者を集め、新たに私立女化尋常小学校を開校させました。こうした挫折を経ての開校は開拓民の心のよりどころとなります。学校教育だけでなく、開拓民の集会所として使われ、相互の絆を深めていったのです。

明治40年(1907)に岡田村立女化尋常小学校、明治 42 年(1909)学制変更により岡田第4尋常小学校に校名変更されます。昭和 12 年(1937)には小学校の統廃合があり、一時は廃校の危機となりましたが、住民の反対運動があり、岡田村立小学校女化分教場として存続することになりました。その後、昭和29年(1954)の町村合併で岡田村は牛久町となり、牛久町立岡田小学校女化分校となります。そして再び統廃合により昭和 47 年(1972)に廃校となりました。 現存する建物は、昭和 14 年(1937)に建てられたもので、市民からは今でも「女化分教場」として親しまれております。近年は女化青年研修所として活用され、うしく現代美術展など芸術文化の発信拠点となっていました。しかし、3.11大震災以降は耐震性の問題があり使われておりません。