蛇 沼

住所 茨城県龍ケ崎市長山8丁目20 (蛇沼公園)

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牛久沼と共に茨城自然100選に選ばれた美しい沼

所在地は若柴町字長山前の雑木林と竜ヶ崎ニュータウン長山8丁目及び松葉6丁目に挟まれた窪地。かつては女化原と呼ばれた未開拓の地、その最南端に位置する。

常磐線佐貫駅東口からニュータウン長山行きに乗り、長山7丁目(終点一つ手前)下車徒歩5分。

雑木林に囲まれた窪地の沼は、かつては人目につきにくく、足を踏み入れることすら困難な場所であった。近年、長山地区に赤煉瓦の門、望沼台、四阿(休憩場所)、野鳥観察舎等の設備の整った蛇沼公園が施設され、誰でも気軽に美しい水辺を散策出来るようになった。

休日にはスケッチやジョギング、散歩など市民の憩いの場となっている。

また蛇沼は野鳥の宝庫で、耳を澄ますといろんな鳥の鳴き声が聞こえてくる。ツグミ、キジバト、ヒヨドリ、中でも沼の水面を3羽4羽の親子鴨が泳いでいる姿は微笑ましい。

蛇沼という奇妙な名前の由来は多説あり

  1. その一、蛇がまがりくねったような形をしているから蛇沼と名付けられた。
  2. その二、昔から沼の周辺の草むらにマムシ(毒蛇)が沢山いたから蛇沼と名付けられた。
  3. その三、鎌倉健五郎景政の大蛇の伝説から蛇沼と言われるようになった。

歴史は古く

さだかではないが戦国末期にここを戦場として、大合戦が行われたと伝えられている。江戸時代になって八代将軍吉宗は全国に干拓事業を起こし、稲作栽培の拡大を奨励し、水源地の南側に堤を築き灌漑用溜池とした。それまでは沼の水面は今より遥かに大きく、現在の松葉地区から馴馬地区までが水面であったらしい。

江戸時代までの旅人は、荒涼とした女化原の南方端の木々が生い茂る窪地をオアシスのように想い、ひと時の休息をもとめて沼に足を運んだと想像出来る。蛇沼に纏わる多くの伝説・伝承がそのことを物語っている。

現在の沼の面積は約1平方キロメートル、水深2メートルほどで、まわりをアカマツやクヌギでおおわれていて、4月にはすみれが岸辺をおおい、夏はタヌキモが黄色い花を水面に浮かべる。名の知れたものだけでも20種類の水草が繁茂し、自然植物のまさに宝庫である。

沼の水はもともと湧き水と雨水に頼っていた。ところが近年の都市開発の影響のためか地下水動脈の流れが変わり、湧き水の量は激減し、日照りが続くと水涸れとなる。竜ヶ崎市は平成11年、そのような状況に対し、蛇沼の景観を保つため人工的に上水道を沼面まで引く用水路を建設した。雨量の少ない時は水を少しずつ放流し、景観は元に戻ったが、一度失われた地下水源は元に戻らない。

水枯れの蛇沼

平成11年完成の用水路

民話

  • 蛇沼の主、一昔、鎌倉健五郎景政が奥州征伐に行くとき、蛇沼で釣りをした。そこに大蛇が出て景政が大蛇の口を刀で切ってしまった。以来蛇沼の大蛇はかたっぽの口が大きくさけているという。その大蛇が蛇沼の主だという。
  • 蛇沼の主、ニその人は朝ご飯を食べる前、推肥を作るために蛇沼に草刈りに行くのが日課だった。そんなある日、見知らぬ人が蛇沼の方に向かっていった、見ると草が一尺幅沼に向いてずっと倒れている。不思議に思ってその先を追ていったら、白い大蛇が沼に入っていった。それは蛇沼の主だという。白い大蛇を見たあとその人は2,3日寝込んでしまった。
  • 蛇沼の主、三蛇沼は四十八の谷があって大蛇が住んでいるという。夏の夕暮れ、竜ヶ崎の商いの人が泉へ来ていた。そして戻る途中、貝原塚の手前で一服しようと腰をおろした。すると、右側の山の中からガサガサと押し分けて来る音がする。見ると馬のような頭の大蛇が首をもたげていた。その人はそりゃびっくっりして飛んでかえったという。
  • 蛇沼の松、蛇沼の沼の中に大きな松がある。その松は大蛇が日向ぼっこするので皮がツルツルになっているという。
  • 鴨取り権兵衛、ある日蛇沼へ鴨撃ちにいった権兵衛は、撃ち落とした鴨が、岸から離れた沼の中だと知ると、崖からズズットすべって沼の中へ入った。そしてやっとのことで鴨をつまえたのだが今度は上がるのが大変。崖になっていてなかなか上がれない、そのとき赤い木の根子があったのでちょっとつかまったら、それは昼寝をしていた兎の後ろ足だった。おどろいた兎は、ガリガリと前足で土を堀り払った。そしたらそこから山芋がぞろぞろ出てきた。やっと這い上がり、着物を脱いでみると、はいていた股引から小さな魚がいっぱい出てきた。一度に鴨と兎と山芋と雑魚をごっそりとった権兵衛はご満悦であったという。一石四鳥のお話。

蛇沼

茨城自然100選