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若柴の伝説

概 要

若柴は稲敷台地最南端に位置し江戸期には水戸街道の宿場町として栄え、早くから村を形成していた。

近年になってから近村との町村合併を繰り返し、現在は若柴町と称し竜ヶ崎市北西部を占める人口2,500人ほどの一地区と成っている。

近代化が進む中で、今でも昔の村の面影を至る所に残し、古い伝統や風習が重んじられ、独自の風土が形成されている。

この様な背景において、多くの迷信や、伝説、民話が伝承され、今でもうなぎを食べない村として、古い迷信は継承されている。

伝説、民話は作為的に創作されたものもあれば、事実関係を湾曲に伝えたものもあり、真実を知る上ではあまり期待出来ないが、昔の人々の暮らしぶりや心意気が感じ取れると思います。

豊かな自然に囲まれた若柴の伝説は牛久沼や蛇沼、そして神社仏閣に関するもの、土地争いや英雄伝説などと多彩である。

うなぎを食べない村 虚空蔵信仰との関連

「竜ヶ崎・若柴の散歩道」より一部転載

虚空蔵信仰は真言宗と関系の深い信仰で、"虚空のように広大無辺の福徳"と言われている。この虚空蔵信仰に関連したウナギをめぐる伝承は豊富で、虚空蔵様のお使いだからとか虚空蔵様の好物だからという理由で、特定の村や集落がウナギを食べない伝承は各地で聞かれる。

ウナギは虚空蔵信仰を護持する者たちによって、その生態や蛇に似た形態から畏怖されるものとして、ウナギに水神そのもの、あるいは水神の指令者と考えられていたのであろう。

おそらく星宮神社が九州の八代神社から分霊した際に妙見信仰(北極星、北斗七星を神とする)が伝わり、その後何らかの形で虚空蔵信仰と入り交わり、水神としてのウナギの要素が結びついたと思われる。特に毛野河流域(現小貝川や牛久沼を含む)は中世の昔から洪水が頗発して、それを鎮めるためにウナギと水神を関連させた可能性も考えられる。

のちの明治の神仏分離において祭神が妙見信仰の流れを汲む天御中主大神(全和全能の創造の神)となり、虚空蔵信仰は切り離されるのであるが、行き場を失った水神としてのウナギの要素は、ウナギが天御中主大神の首に巻き付くことでかろうじて保たれるのである。そして村人の間で「星宮神社の神様の使いウナギを食べると目がつぶれる」と言い伝えられるようになったのだが、天御中主大神の首に巻きついたウナギを見た者は誰もいない。

星宮神社に纏わる伝説

駒止の石

平将門の乱の時代、平貞盛の乗った馬が石の前で突然動かなくなった。不審に思った貞盛が周囲を見渡すと、星大明神の祠があった。そこで、この祠を懇ろに参詣すると馬は再び動き出した。以後この石は「平貞盛の駒止の石」と呼ばれ、今でも星宮神社境内に残っている。

この伝説の関連として、 平貞盛の父、国香の言い伝えが残っている。

星宮神社から2kmほど離れた川原代の安楽寺付近で、平将門軍と激しく戦かった国香。不幸にも激戦のすえ戦死した国香の供養塔に纏わる言い伝えが、次のように。

平国香の墓(供養塔)には刀傷がついている。
昔ある人が、この墓石の付近を通ったら、石の影から亡霊が現れた。恐怖に慄きその亡霊を切りつけたところ、ふとその墓石を見ると、真新しい刀傷がついていたという。

詳しくはこちら

病気快癒祈願

若柴では病気になったら、星宮神社の椎の木に藁の人形を作って杭で埋めてお祈りすると治ると云われている。更に病気が重く、危篤の場合はこの神社でお百度参りをした。境内にある石碑、道緑神様(ドウロクジンサン)にお祈りすると足の病気が治ったと云われている。

ものもらいにかかった時は、近所の家に行ってオムスビを貰うと治ったそうです。

うなぎを食べない村

若柴では決してうなぎを食べない、それは若柴の鎮守、星宮神社の神様の使いが、うなぎだからだと言う。ある人がその禁を犯し、うなぎを食べてしまった。するとその人は病気になり三日三晩苦しんだという。

この言伝えは代々語り継がれ今日でも若柴の人々はうなぎを食べない。しかし、最近ではこの禁句を守っているのは高齢者のみで、若者は地区外なら食べてもよかろうと考えている。

土地決めの伝説

佐貫と若柴の土地決めのお話

佐貫と若柴の土地決めは話し合いでまとまらず、ついに矢で決めることになりました。若柴の高台から矢を射て落ちたところまでが若柴の土地という事にしました。佐貫と若柴の境界線が入り組んでいるのはその為だと言われている。

馴馬と若柴の土地決めのお話

昔、若柴と馴馬で境をめぐって争いがおこった。そこで大きな羽の弓矢を射て、羽矢の落ちたところを境にすることにした。落ちたその場所はその後、大羽谷津(大きな羽の落ちた場所という意味)と呼ばれるようになった。

鬮(クジ)神社の伝説

若柴ではかつて、殆どの家が屋敷の一隅に氏神様を祭っていた。ご神体は、自然石であったり、石の祠であったりする。

この祠はT家の氏神様で、地区の人々から鬮(クジ)神社と呼ばれている。

断片的だが下記の言い伝えがある、


クジ神様はT家の氏神様で、クジ(運)の神様だった。

昔、徴兵検査などのかけごとの、願掛けに参りに来たという。

昔、佐倉惣五郎が隠れたという。そこには杓文字があって、これを借りてご飯をよそると「メシトル」といって風邪が治るという。

現在でも、地元の人々からクジ運の神様と信じられ、受験生たちが、「~~高合格」と、杓文字に願い事を書いて奉納している。

くじ神社

下記ページも併せてご覧下さい。私(田舎の和平)が編纂するHP「竜ヶ崎・若柴の散歩道」民話に関するページへのリンクです。

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