平成十三年十二月二十三日発行

真っ赤に燃えた護摩木に祈りを込めて、
来迎院火防(ひぶせ)大災

夕方5時の花火を合図にほら貝が鳴り響く。数人の山伏たちが行列を始める。 山伏たちによる舞が始まる。そして護摩木が真っ赤に燃やされ欲望や煩悩を天上に追い、そしてクライマックスは燃え尽きた火の上を素足で渡る「火渡式」で幕を閉じる。

これは平成13年12月23日、龍ヶ崎市馴馬町の来迎院で行われた火防(ひぶせ)大災の模様である。
火防大災は来迎院の密仏である不動尊の御開扉日に併せて、宗派や教義の違いを乗り越えて世界平和、除災招福、交通安全、諸願成就などを祈祷して、護摩供火渡り大修業するものである。
法弓式 火生の舞

 


燃え尽きる護摩火を見守る山伏

まだ火の残った護摩の上を素足で渡る住職と山伏(火渡り式)

 

 来迎院

天台宗来迎院の本尊は阿弥陀如来の立像と言われている。寺院の入り口に優美に聳える「多宝塔」は有名で、資料によると「この建築物は、仏教の神髄経たる妙法蓮華教の解説に準じて造営されたもので、即ち建物自体が多宝如来様の尊像である。中心に釈迦如来様の尊像が納められてあり、この大世界の本地仏と垂跡仏とが一緒に祀られている。したがって、この建物の全貌を礼拝すれば、功徳莫大にして如何なる願いもかなう」となっている。
 この種の多宝塔は、竜ヶ崎と丹後国の全国に2つしかないといわれている。建立は室町後期と思われる古塔である。

多宝塔の解説板によると。
この塔は供養塔とも呼ばれるが、正しくは多宝塔を称し、大日如来の本体としている。
当地領主土岐治英は、この境内の東方にある県指定文化財の沼田城(1308)跡に眠る、南朝の征夷大将春日顕国以下、戦に敗れた幾多の戦土の霊魂の冥福供養のため、さらには万民安泰のため、後に奈良天皇の御政所に奉し、如来の加護を祈って、弘治2年(1555)、この塔を建立したもので、当山本寺の逢善寺第15代定珍和尚によって開幕された。
以上解説板より抜粋


多宝塔 県指定重要文化財。