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「暮らしとパソコン」平成14年1月号<
インターネットを旅してわが町の語り部を探す

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「伝説をキーワードに探す

そもそも語り部とは、その地の古い伝承や伝説を暗唱して語り伝えることを職とした者を言う。わが町の語り部もまた、語り伝えるために、ホームページに伝承・伝説を載せているのではないか。まずは、「伝説」をキーワードに検索してみた(画面2)。

検索を実行すると次のような結果が出た。「伝説をキーワードに検索した結果13件のYahoo!カテゴリ、323件のYahoo!登録サイトに一致しました。」
 「カテゴリ」とは、「部門」の意味。従ってこれは、伝説という言葉を含む部門が13件あって、おのおのの部門のホームページの数を合わせると全部で323件ある、ということだ。画面の一番上を見る(画面3)。

「生活と文化>神話、民話と民俗学>都市伝説」とある。つまり、「都市伝説」の項目の中に「伝説」という言葉を含むホームページがあるということだ。クリックすると、そこにあったのは「医学都市伝説」、「未確認飛行ニュース!」など、タイトルを見ただけで違うと分かった。画面左上の「戻る」ボタンをクリックして、1つ前の画面に戻って別のホームページを探す(画面4)。
 「静御前の伝説」というホームページを開いてみる (画面5)。静御前と源義経の悲恋の顛末が記されていた。興味をそそられるが、ここで語られているのは静御前の伝説だけだった。取りあえず後で見ることにして、「お気に入りに追加」をクリックする(画面6)。

「絞込み検索」で語り部に肉薄する

「長崎県の河童伝説」というホームページを見つけて驚いた。54件もの河童伝説が、長崎県にはあったのだ。しかも、1つひとつの伝説に写真とていねいな解説文が付いている。読み物としてとても面白く、また今後何かの役に立ちそうな気がするので「お気に入り」に登録した。しかし、河童に特化し過ぎている点で、編集部が探している語り部とは違っている。次を探そう。 ふと、マウスの手が止まった。伝説という言葉を含むホームページが323件。このペースで進めたら、貴重な時間がどんどん失われていくだけだ。

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そこで、「絞込検索」という手を使うことにした(画面8)。検索する言葉に、もう1つ言葉を追加して検索する方法である。校り込む条件は「関東」(画面9)。こうすれば、「関東地方の中にある、伝説という言葉を含むホームページ」が表示されるのだ。

「絞込検索」の結果、18件に絞られた。さっそくそれらの中から「牛久沼・河童の泪」を開くことにした(画面10)。「河童伝説、空海伝説、小川芋銭、住井すゑ等の話題。」という解説文に「語り部」らしきにおいを感じたからだ。

「牛久沼・河童の泪」という名前から、牛久沼の河童伝説がテーマのホームページだと思っていた。しかし、読むと河童の情報よりも、牛久沼の歴史やその地ゆかりの文化人紹介に比重が置かれている。写真がふんだんに使われ、紹介文もていねいで好感が持てる。ただ、全体の情報量が少ないのが気になった。ところが同じ画面の下に画面11のようなアイコンを見つけた。 「和平のメインサイトはこちら」。この言葉から分かることは、「ここをクリックすると和平という人が最もカを注ぐホームページヘ移動できる」ということだ。このアイコンのすぐ下に、「管理・製作 田舎の和平(前田享史)」とある(画面12)。もしかしたら、前田さんは、ここよりもっと大きなホームページを作っているのではないか。期待を胸に、さっそくそのアイコンをクリック。「竜ヶ崎・若柴の散歩道」というホームページが開いた(画面13)。

語り部を見つけた

シンプルなデザインだが、読みごたえのある内容だ。特に、「女化原(おなばけはら)」の狐女房譚は、虚実入り乱れて興味深い。狐の子孫と言われる栗林義長(実在)が、関東の諸葛孔明と喩えられ大いに活躍するという。面白い。制作者にぜひ会いたい。

ホームページの下のほうにあった電子メールアドレスをクリックすると、電子メール作成画面が自動的に開く。そこに会いたい旨を書き込んで「送信」ボタンをクリックした(画面14)。

というわけで、11月24日(土)に、語り部に会いに行った。その時の様子は次のページにて。


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茨城県竜ヶ崎市若柴町の語り部に会いに行く

近代的な竜ヶ崎ニュータウンに隣接して女化(おなばけ)という地名がある。


女化の狐伝説は郷土の民間伝承として広く話り継がれているが、女化神社発行の「縁記」や「利根川図誌」、「東國闘戦記見開私記」、「東國戦記寛録」などの文献にも栗林義長伝とし了数多くの逸話が残されている。それらを比較すると、背景や登場人物はだいぶ違うが、一様に話の大筋は狐女房譚と呼ばれるもので、忠七 (忠五朗)に令を助けられた狐が人間の娘に化けて妻となリ恩返しをするストーリーである。女化の狐女房譚の興味深い点は、さらに話が子供の代、孫の代へと展開するところにある。そし栗林義長は虚実人り乱れて狐の子孫として登場する。


これは、前田享史さん(51)が制作したホームページ「竜ヶ崎・若柴の故歩道」の「女化原」からの一部抜粋である。女化伝説の面白いところは、「きつねの恩返し」の伝説が歴史の一部として織り込まれている点だ。

そしてここからが、このホームページの真骨頂なのだが、前田さんは女化の歴史にさらに深く踏み込んでいる。江戸時代の「女化騒動」と呼ばれる一揆から、明治天皇の女化行幸の様子、米騒動を背景とした女化原の開拓の歴史までを、写真を織り交ぜながら実にていねいに記述している。

「昔から物を書く習慣がなかったものですから、いざ表現しようとしたら、どう書いていいのか分からなくて」と前田さん。図書館で文献を読み、郷土史家や町の古老に会って話を開いて、資料を集めたものの、それらをどのように組み立て、形にすればよいのか、最初は試行錯誤の連続だったと言う。

「今にして思えば、こういう作業を通じて、少しは人間的に成長したのかなという気がします」

若柴の町に魅せられて

前田さんがホームページを作ろうと思い立ったのが約3年前。 「最初、どんなホームページにしたらいいのか見当もつきませんでした」。テーマは?自分に何か自慢できるものがあるだろうか?

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答えはすぐそばに。「この若柴の町でした」。明治の雰囲気を残す町のたたずまい、心和む雑木林の散策道、14年前にこの地に越して以来、若柴の自然に魅せられてきたのだ。 「よそ者だからこそ、地元の人よりも、もっと地元を好きになれるものなんですよ」

従って、最初にできたホームページは、若柴町周辺の美しい自然の紹介がテーマだった。

「たくさんの人に見てもらいたいけど、見られるのも恥ずかしい」。そんな気分で公開したホームページだったが、反応は極めて鈍く、1か月日に初めて電子メールが来た時はすごくうれしかったと言う。今では、1日に60人が訪れる人気のホームページに成長した。「秘訣はホームページのタイトルの頭に、『竜ヶ崎』を付けたこと。 紹介文も、『牛久沼の伝説、蛇沼の伝説、水戸街道の宿場町の紹介』とに変えたら、アクセスが3倍になりました。つまねり、検索に引っかかりやすい単語を増やしたわけです」。そう言えば、編集部も「伝説」のキーワードを頼りに、ここにたどり着いた。

インターネットの醍醐味とは

「サラリーマンの皆さんもそうでしょうけど、地元には土日しかいません。ですから、近所との交流はほとんどありませんでした」。ところが最近では、デジタルカメラを持って歩いていたら、知らない人から「前田さんでしょ、ホームページ見てるわよ」と呼びかけられたりする。

「ホームページを見てくれる人のほとんどは地元の方々です」。とは言え、この頃は、海外に在住の地元出身者が、懐かしがってこのホームページを訪れてくれることもある。

「インターネットだからこそ、カリフォルニアとか韓国とかの方々と、距離を意識しないで交流できるんです。すばらしいことだと思います」

インターネットで語り部に会おう

「地方の人がこの竜ヶ崎の民話や伝説を知る機会は、まずありえないことです。鎌倉や京都ならまだしも、竜ヶ崎のようなマイナーな地域の歴史のことは、どんなに大きい図書館へ行っても分かりません。ところが、私が竜ヶ崎のことを調べてホームページで公開するだけで、世界中の人たちが、竜ヶ崎のことを知る機会を得られるのです。そこにやりがいを感じています」

前田さんは、今以上に範囲を広げて情報を収集するつもりはないと言う。

「ちょつと手を広げ過ぎたかなと反省しています。これからは女化の話のように、1つのテーマについて角度を変えて、より深く調べていきたい」

女化伝説だけではない。牛久沼には河童の伝説がある。鰻の言い伝えが残っている。金竜寺の裏手、竹やぶに囲まれた薄暗がりに人知れず新田義貞の墓があるのはなぜか。江戸末期の力士、一力長五郎にまつわる悲しい伝説とは。庄兵衛新田町という珍しい町名にはどんな秘められた物語があるのか。佐貫町と若柴町の境界線が、地元の人にも分からないほど入り組んでいるのはなぜか。調べるほどに謎は増え、知るはどに見飽きたはずの町並みが愛しくなつていく。そんな幸せな日常を送る前田さんは最後にこう付け加えた。

「私のようなホームページを次々にたどるだけでもちょつとした旅気分を味わえますよ」

もし前田さんのようなホームページを身近に見つけたら、会いたい旨をしたためた電子メールを出してみよう。そして語り部の話にじつくりと耳を傾けるのだ。

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