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住井すゑ 著 『向い風』の世界 

あらすじ

戦死したはずの夫がシベリヤから帰ってくる。家を絶やさないためにと言い寄られ、すでに義父との間に子をなしていたのに。主人公ゆみの、理不尽な人生をモチーフに、農地解放直後の牛久沼の農村を背景とした人間模様を描く。

この頁では、当サイトの趣旨に基づき、牛久沼での生活模様を中心に記載しています。

※会話と文字の藍色部分は原文をそのまま引用

再会、上野駅

「あの人(健一)は生きているんだもの、今に帰ってくる。」死んだはずの健一が帰ってくる。六年ぶりに健一に会えるのだ。それは待ちに待った喜びであった。しかし、義父(庄三)と暮らすゆみにとって、健一の復員が現実になった時、後悔の念、自分に対する罵りとなり、深い悲しみと、苦しみに変わってゆく。まるで心の中が砂漠になったように。

ゆみはそんな苦しい思いを抱きながら健一を上野まで迎えに行く。庄三との間に生まれた子、光夫を背負って。

つかつかと、群れを懸けて寄ってきた男。棕櫚の毛のような赤い髪。頬骨がぐっと横に張り出して・・・・まるで別人だ。それは皮肉な運命に彩られたゆみにとって、また健一の戦場での境遇から考えると、6年ぶりの再会は別人のように思えても当然であろう。しかし紛れもなく健一だったのだ。

ゆみ「たっしゃでよかったな。」

健一「うん。きみも」

と再会の挨拶をするのであるが、健一の視線がゆみが背負っている赤子に移った時、健一の再会の喜びは悲しみに一変する。そして、健一は決して恨み言はいうまいと、心に誓うのである。

やがて2人は復員で溢れる超満員の常磐線列車に乗るのであるが、相席の乗客と戦地での話題に話が弾み、二人っきりの時間が持てないまま、電車は佐貫駅へと到着する。

佐貫駅

2人はなぜ、佐貫駅で降りたのだろう。ゆみと庄三の暮らす部落は、それは健一の生まれ育った部落でもあるのだが、小説の中では架空の川上部落として登場するが、それは紛れもなく現実の住井すゑが暮らしていた牛久市城中町そのものなのだ。そこは牛久沼東岸に辺りに位置し、佐貫駅より牛久駅の方がはるかに近いはずである。では、わざわざ回り道をする理由はなんだったのか。

その理由を紐解くと、小説では次のような意味合いの事が書かれている。

ゆみは一番最後に 改札を出た。いっしょに降りた客の殆んどが私鉄乗り換えで、ゆみの見知った顔は一つもなかった。

そうなのだ、もし牛久駅で降りたなら、隣近所総出で復員兵を出迎えるため、見知った顔が多いので、まるでこそこそと隠れるように静かに佐貫駅に降りたったのである。

今でこそ、佐貫駅は通勤通学の乗降客で賑わっているが、この作品の当時は私鉄(関東鉄道竜ヶ崎線)への乗り換えの為の駅で、乗降客は限られていた。もちろん、ゆみの顔を知ってる人は、居るはずがなかったのである。


この小説では、作者が意図的にそうしたのであろう。二人が佐貫駅で降りたため、「向い風」と言う作品の風景が色彩豊かに彩られる。なぜなら、二人の行く手に牛久沼があり、その先に筑波山の頂が望めるからである。佐貫駅から川上部落迄の道すがらが、この物語の重要なポイントになっているのだ。

牛久沼

ゆみはここまで帰り、苦悩する。目の前に牛久沼が横たわっている。沼の遙か向こうに健一の故郷川上部落が見える。


その一言をどう切り出していいか分からない。


ゆみは上野駅ホームでも、車中でも話すことが出来なかった一番かんじんなことを牛久沼を目の前にして語ろうとしている。健一にとって6年ぶりの牛久沼は美しく輝いて見えたはずであるが、著者住井すゑはその感情を、自然の悠久さよりも、むしろ親しい信頼を覚えたのだ。と作中で表現している。


ゆみ「いろいろ話があるんだよ」

健一「どんな話だ?」

ゆみ「いろいろだよ。」

健一「ゆみ、遠慮することはないだろう?俺は、もうすっかり諦めている。それに、事実、俺たちはもう他人だよ。・・」

ゆみ「でも・・・お前はきっと腹を立てるよ。」

健一「いや、大丈夫腹は立てないよ。だって、ゆみ、俺は殺されて、もう墓場にいるんだろう?・・・・」

遂に肝心の一言がゆみの口からこぼれる。背負っている赤子に目を向けて。

ゆみ「こいつはね、お前の弟にあたるんだよ」

健一「・・・・・・・・」

それを聞いた健一は、大きな竜巻といっしょに、天空高くほうり上げられた小鮒のように、ただ、呆然。

誰と結婚していようと、今さらそれをどうこう言うつもりのなかった健一の心の中の動揺は隠しようもなく、国道6号線を行き来するトラックやジープの騒音も耳に入らなかっただろう。

健一は「畜生、畜生っ!」と心の中で叫び、道端の小石を拾っては沼に投げつける。沼は何の抵抗も示さず、彼の怒や悲しみをそのまま受け入れてしまう。もし、色に悲しみ色があるならば、牛久沼の湖面は限りなく藍色に近い悲しみ色に染まったことだろう。

ゆみが総てを打ち明けた場所(推定)。対岸の川上部落(城中町)が遙か向こうに見える。

余談だが、この場所は水神屋パークホテルの隣で、ホテルの店主の話しによると松本清張が生前よく宿泊したという。おそらくこの沼を見ながら物語の構想を練っていたのだろう。

一年後、牛久沼

それはゆみにとってあまりにも皮肉な運命である。ゆみの妹 とよ と再婚した健一。その直後の庄三の死。ゆみは行き場を失なうのである。

兄の安雄の自転車の荷台に腰掛けて、牛久沼沿いの国道を走る。ゆみにとって、もとに戻れぬ悲しい里帰りであった。

ゆみの故郷は牛久沼の対岸の村で、距離こそさほど遠くないが、沼を挟んで郡名が異なり、交流も少なく、精神的な面で距離があった。

安雄「ゆみ。心配するな。お前と光夫の飯米くらい、俺は持っているからな。」

ゆみ「兄さん。俺は女中をしても、この子は育てるよ。」

冷たい北風が沼からふきつける。何も知らない光夫はゆみの肩で嬉々としている。

数日後、健一の家

姑(いく)にとってこの嫁は許し難い存在であった。それは義祖母(なか)も然りであった。しかし夫を失った。

いく と、子を失なった なか の心は微妙に変化してゆく。そして一つの切っ掛けからお互いの心が通じ合った時、嫁と姑、嫁と義祖母の別れの時であり、健一とゆみとの本当の別れでもあった。


ゆみは、お父の墓参りを兼ねて荷物を引き取りに戻り、今後のことについて健一家族と話しをする。

ゆみ「俺はこんど、いい具合に・・・・」

とよ「嫁に出るのか。」

ゆみ「ははははは。そんないい話じゃなくて残念だけど・・・・。実は、作る田畑が見つかったんだよ。」

健一「それは良かったなァ。」

健一にとって、ゆみとの再会は僅かな時間、僅かな会話しか許されない。新妻とよの激しい嫉妬のためであり、それはゆみが一番心に感じることである。そして再び別れが。

いく「ゆみは今日帰るのかい。一晩だけでも泊っていけないのかい。」

なか「ゆみ、すまないなァ。」

ゆみ「婆ァ。すまないなんて、そんなことあるものか。」

なか「そんでもよ」

なか婆さんはいろんな思いが去来したのだろう。悪いのは自分の息子庄三なんだ、ゆみは何にも悪いことしてないのに。それなのに自分に対して尽くしてくれたゆみを追い出すような気がして、すまないと・・・・。

なか「ゆみも光夫も、達者でな。」

ゆみ「婆ァちゃんまたくるからな。」

光夫も背中でバイバイをして、いくとなかに笑いを誘った。

そして、牛久沼

部落の丘を下がると、右手にさっと沼がひらけている。
沼は南西の風に白く波頭を立てている。小船が二艘、追い風を受けてその波頭を辷っていく。


この光景はまさに著者住井すゑの日常の生活の中の風景で、この作品を書いている頃の住井すゑは週の内、何日かを日用品を求めて国道6号線沿いの「油屋」という雑貨店まで足を運んだ。その日常の見たままの光景を作品の中に挿入しているのである。


黙っていた健一は国道に出たとたんに口を切った。家からの距離が一種の開放感となったのだろう。

健一「ゆみ、よかったな。耕地が手に入って。」

ゆみ「そう。ほんとに。俺は運がよかったよ。」

健一「でも、それはゆみが百姓のできる人間だったからさ。だから運じゃなくて、むしろゆみの力だよ。」

ゆみ「そうかしら」

ゆみ「俺はうんといい作、でかしてみせるよ。」

健一「それを聞いて大安心だ。」

そして、一年前にゆみが総てをうち明けた沼畔の同じ場所に立ち止まった。あの時と同じように沼は優しさを包んでいる。

健一は別れを惜しむかのように言う。

健一「ゆみ、一寸休もうじゃないか。」

ゆみ「でも休んでいると暗くなるからヨ。」

健一「暗くなれば家まで送って行くから大丈夫だよ。」

ゆみ「だけど、どこまで送ってもらっても同じことだもの。」

健一「・・・・・・」

ゆみ「それに、とよも、おっ母さんも待ってるだろうから、・・・省略」

健一「それじゃ、小貝の堤まで送るとしよう。あの橋まで行けば、ゆみの村が見えるからな。

あの橋に向かって・・・・・つまり、物語のラストシーンに向かって二人はまた歩き始める。

ラストシーン、文巻橋(ふみまきばし)

ゆみは文巻橋の袂で立ち止まった。それは何よりも明瞭な別れの合図だった。

健一「ゆみ」

ゆみ「さようなら」

健一「ゆみ」

ゆみは黙って橋を渡りはじめた。
橋上は一入風が強かった。しかも向い風だった。ゆみはその風に突っ込むように、一直線に進んで行く・・・・。
上流は雪解であろうか、小貝川は水豊かに、淙々として薄暮の中を流れていた。

国道6号線文巻橋、藤代方面を望む

文巻橋は国道6号線(水戸街道)の橋で、「向い風」の作品の当時から往来が多く、龍ヶ崎市と北相馬郡藤代町の境界線を流れる小貝川に架かっている。この作品の当時は稲敷郡馴柴村と北相馬郡相馬町の境界線で、更に遡ると下総国と常陸国の国境である。

橋は心の架け橋でもあり、二人の別れは永遠ではなく、この橋が二人の心を結びつけているのかもしれない。しかし、ゆみは向い風に向かって突っ走るしかない。そして過去を棄てきれない健一にとって、小貝川の流れは寒々として非情に映っただろう。

さまざまな思いを映す川の流れ。その川に架かる橋は、いつの場合も哀愁をおびて、効果的に別れのシーンを演出するのである。

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